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STORY 13 | 地域とヒト

日本三大修験道・英彦山。人々が祈りつづけた
1500年もの歴史文化を未来につなぐストーリー。

まちのシンボル英彦山の課題とは?

福岡市から車で約1.5時間、かつて日本一の石炭を産出した筑豊エリアの西南に位置する添田町。すでに炭鉱は閉山し、ピーク時の1955年に28,000人ほどだった人口も、2020年には3分の1以下の約8,800人にまで減少しています。過疎化や高齢化は進みましたが、添田町ではまちのシンボルである国定公園・英彦山を活かした観光振興に努め、毎年90〜100万人ほどの観光客が訪れています。

まちの大部分が山間部である添田町。
まちの大部分が山間部である添田町。

多くの方に親しまれる英彦山ですが、さまざまな問題も抱えています。例えば、九州北部豪雨被害による一部公共交通機関の運休。激しい風雨を繰り返し受けたことによる自然林の倒壊や社殿の破損、訪れる45%が県内在住者で、96.7%が日帰り客等。なかでも深刻なのは、山岳信仰の聖地であり日本三大修験道のひとつである記憶が、地域でおぼろげなものになりつつあることでした。

山頂にそびえる英彦山神宮の御本社(上宮)。
山頂にそびえる英彦山神宮の御本社(上宮)。

歴史をさかのぼると、平安時代以降に神道と仏教が結びついた「神仏習合」の聖地として信仰を集め、朝廷からも一目置かれる存在でした。その後、明治元年の「神仏分離令※1」、明治5年の「修験禁止令」公布から徹底した神道化が推し進められ、ここで修行をしていた山伏(修験者)は離散し、峰入修行も断絶。江戸時代は「彦山※2三千八百坊(3000人の衆徒と800の坊舎)」と謳われるほどの都市機能を有する巨大な門前町でしたが、当時の風情を残す古坊も10数坊ばかりの寂しい町並みになりました。

※1 日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説「神仏習合」をやめて、神道と仏教を明確に区別する明治政府の宗教政策。
※2 英彦山は、霊元法皇から「英」の字を賜り「英彦山」へ。それ以前は「彦山」「日子山」と表記。

参道。左右に、修験道時代の名残である坊舎が建ち並んでいる。
参道。左右に、修験道時代の名残である坊舎が建ち並んでいる。

このまま修験道としての英彦山を復活させずにいると、ここで育まれてきた約1500年もの信仰の保存・伝承が難しく、目に見えるもの見えないものも含めた本来の英彦山らしさの消失、ひいては日本の信仰に対する尊厳や歴史的資料の損失にまで繋がりかねない状況になっていました。

英彦山鳥瞰図。英彦山は、日本三大修験道といわれる大峯山、出羽三山より規模が大きい。
英彦山鳥瞰図。英彦山は、日本三大修験道といわれる大峯山、出羽三山より規模が大きい。

地域のブランドイメージを構築する、パートナーとの出会い。

これらを避けるべく、添田町としても英彦山に関する多面的な取り組みを行ってきました。そこで、大きな壁となったのがブランドイメージのマネジメントを担う人的資源。解決の糸口となったのは、ある企業との出会いでした。
英彦山事業に長年取り組んできた添田町役場の岩本教之さんは、当時の事をこう話します。「2021年秋頃、県の観光局や福岡銀行さまに現状の課題を伝えると、バリューマネジメントさまをご紹介いただきました。その後、英彦山神宮さまも交えて現地視察や意見交換を重ねたところ、私たちが英彦山の歴史を途絶えさせないよう向き合ってきた状況を汲みつつ、広い視点から英彦山再興を考えてくださいました。全国の企業や自治体など20以上もの類似実績が決め手となり、エリアマネジメントのご協力をお願いしました」。

山伏の高千穂さんと、英彦山の調査をする添田町役場の岩本さん。
山伏の高千穂さんと、英彦山の調査をする添田町役場の岩本さん。

英彦山復活プロジェクトで成し遂げる、3つのこと。

その後、添田町と英彦山神宮、バリューマネジメント、福岡銀行等で、英彦山復活に向けた協議をスタートしました。具体的には、英彦山詣や山中巡礼の環境を整える「修験道の復活」、英彦山の特徴でもあるおもてなしの心を表す「門前参道の賑わいの復活」。英彦山の歴史文化や修験道に関心のある方を招き入れる「宿坊の復活」という3つの観点から、関係者間での検討を今後進めていく予定です。

参道に残る宿坊。長年使われていないため、老朽化が進んでいる。
参道に残る宿坊。長年使われていないため、老朽化が進んでいる。

「宿坊の復活」に関しては、佐賀・鍋島藩の宿坊とされてきた増了坊(ぞうりょうぼう)をはじめ地元の方々が守ってきた貴重な宿坊が残されており、そのすべてを在りし日のよい状態に近づけることを目標に、歴史的価値の高いものや老朽化が深刻なものを優先する等、専門家を交え整備活用計画を推進。これは、バリューマネジメントがさまざまなエリアで成功させてきた点在する建物をひとつのホテルに見立て、まちを永続的に事業化させるノウハウが活かされます。

旧宿坊の財増坊。現在は添田町歴史民俗資料館に。
旧宿坊の財増坊。現在は添田町歴史民俗資料館に。

以前から修験道復活に取り組んできた英彦山神宮の高千穂有昭 禰宜(ねぎ)※1は、「宮司をはじめ英彦山神宮の面々も並々ならぬ覚悟で取り組んでいたなかで、さまざまなお知恵を持たれるバリューマネジメントさまが加わってくださり、大変心強く感じています。神仏習合を成し遂げるために、私も比叡山延暦寺で厳しい修行を積み阿闍梨(あじゃり)の称号を取得しました。室町時代は九州全域の信仰圏を保持していたという記録もあり、ふたたび多くの人に信仰してもらえる霊山になるよう日々奮闘しています」と話してくれました。

※1 「禰宜」とは、宮司を補佐する職を指す。

現代人とって、修験道はどう映るのか。モニターツアー開催。

関係者での協議をスタートしてから約1年が経過した、2022年12月。食や修行体験など魅力的な滞在コンテンツをつくるためのリサーチや先達山伏のレベルアップを目的に、県内外で働く30〜50代男女10名弱に参加してもらいモニターツアーを行いました。

参道の先にあり、国指定重要文化財の英彦山神宮奉幣殿。
参道の先にあり、国指定重要文化財の英彦山神宮奉幣殿。

当日は午前10時前に集合し、先達山伏の中田充昭さん、高千穂有昭さんと参加者が、かつて英彦山修験の中心的構造物だった奉幣殿(ほうへいでん)から山中巡礼へ。

山伏の念仏や法螺貝の音色のなか、参加者も奉幣殿に参拝。
山伏の念仏や法螺貝の音色のなか、参加者も奉幣殿に参拝。

先導する先達山伏・中田さんの「慚愧懺悔(ざんぎ さんげ)」という念仏に、参加者は「六根清浄(ろっこん しょうじょう)」と唱え、美しくも険しい自然道を歩みつづけること約5時間。かけ念仏を唱えることで緊張がほぐれ仲間意識が生まれましたが、途中からはあまり喋ることもなくそれぞれが自分自身に集中し、山のなかにあるものを体得していきました。

奉幣殿への参拝後は、玉屋神社、 鬼スギ、 梵字岩などへ。
奉幣殿への参拝後は、玉屋神社、 鬼スギ、 梵字岩などへ。

その後、奉幣殿近くの下宮で護摩供礼拝、旧宿坊の財蔵坊(ざいぞうぼう)で英彦山神宮の高千穂秀敏 宮司と先達山伏・中田さん、高千穂さんとともに囲炉裏をかこみながら山伏宿坊料理と談話を堪能。参加者たちはともに修行を積んだことで仲が深まり、別れを惜しみながらツアーは終了しました。

左上は、下宮での護摩供礼拝。その他は、財蔵坊での直会の様子。
左上は、下宮での護摩供礼拝。その他は、財蔵坊での直会の様子。

参加後のアンケートでは、肉体的にも精神的にも厳しい一日だったにも関わらず修験道の霊場である英彦山から得られる恩恵や交流、食事等について多くの好意的な声が得られ、なかでも「すべての瞬間において非日常が味わえた」「家族や知人とまた来たい」との意見が多くあがっていました。

これからスピードを上げて英彦山復活を進めていくバリューマネジメントの池上順一さんは「英彦山に足を運び、色々なお話を伺うたびに日本にとっても重要な場所であり、日本人の精神性を体感できる場所だと感じます。英彦山の歴史、英彦山を守ってこられた方々の想いをかたちにしたい。今ご一緒させていただいている関係者の皆さまの熱い想いに対して少しでもお力になりたいと強く感じています」と語ってくれました。

全国で歴史的建造物を活かしたまちづくりを成功へ導く、バリューマネジメントの池上さん。
全国で歴史的建造物を活かしたまちづくりを成功へ導く、バリューマネジメントの池上さん。

歴史的資源の活用を通じて、地域活性化に貢献したい。

福岡・熊本・長崎を中心とした九州全域にネットワークを有するFFG(ふくおかファイナンシャルグループ)の一員である福岡銀行は、長年にわたって地域に根ざした活動を行っております。

地方創生を目指した今回の事例では、英彦山エリア(添田町)の歴史や文化、人の営みを後世に残すべく、新たな文化観光のまちづくりを手掛けるきっかけをご提供しました。
「銀行」と耳にすると金融面のサポート(資金提供)のみだと思われがちですが、私たちはこれまで構築してきた独自のネットワークを通じて、事業者様同士のマッチング等、非金融面での支援にも注力しております。今後もさまざまな自治体様や地域事業者様とともに、地域活性化に取り組んでまいります。