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STORY

「未来は待っていても来ない」
災害復興から、新しいビジョンを描く西原村

Text: Wataru Sato / Photo: Shintaro Yamanaka

2016年の4月に熊本県を襲った熊本地震。西原村の村長が役場に駆けつけると、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていました。しかし、かつては村の消防団長として活躍した村長は、復興に向けて粛々とやるべきことを進めていきます。破壊のあとには、復興しかない。類い稀な復興事例として全国からの視察が後を絶たない、西原村の活動を追いました。

千年に一度の震災

2016年4月14日の21時26分、そして28時間後の16日午前1時25分。ふたつの大きな地震が、人口約7,000人の熊本県阿蘇郡西原村を襲いました。9名の方が亡くなり、負傷者は56名。512棟の家屋が全壊し、半壊以上が1377棟。これは、村の住宅の56%を占めます。神社や公民館も柱ごとひしゃげて崩れ落ち、県道も分断。「千年に一度」とも言われた規模の地震は、村の景色を一変させてしまいました。

西原村の日置和彦村長は、当時を振り返ってこう語ります。
「初めは何が起こったのかもわからず、あまりの被害の大きさに呆然としました。全住民の安否確認ができるまで、とても不安な時間を過ごしたことを覚えています。しかし不幸中の幸か、うちの村にはよく組織された消防団があります。防災訓練も入念に行っていたため、震災後の復旧に向けては、迅速に取り組むことができました」

すぐさま災害対策本部を設置し、まず取り掛かったのは道路や水道を含むライフラインの復旧。そして、仮設住宅の早期建設でした。

「自宅が全半壊し、住む場所がなくなってしまった住民の不安は、大きいものです。愛着のある家がなくなって涙を流す人もいましたし、『不安な気持ちを抱えたまま、この集落にいたくない』という声も聞きました。村として、住民の生活を守り、安心して暮らせる場所の確保が急務だったのです」

災害公営住宅建設を劇的に早めた、ある方法

通常、災害時の住まいの再建は、まず応急対策として仮設住宅を作り、その後に災害公営住宅を作ります。仮設住宅は、地震の被害によって住む場所がなくなってしまった人のために、内閣府と国土交通省から支援を受けて、県が建設するもの。入居者に家賃は発生しませんが、入居は2年間と定められています。そして、自力での再建が難しい住民に向けて、行政が用意するのが災害公営住宅。こちらは、通常の公営住宅のように家賃が発生しますが、被災者は優先的に入居でき、長く住み続けることも可能です。

西原村は、地震発生から3カ月後の7月上旬までに302戸を整備し、半年後の11月上旬までに、必要とされる312戸の仮設住宅をすべて完成させ、避難所生活を送っていた住民の住居を、まず確保しました。そして、災害公営住宅の建設にも早急に着手。復興建設課の係長・山田孝さんは、急いだ理由を次のように語ります。

「なるべく早く震災前の生活を取り戻し、この村で安心して暮らしてもらいたい。そのためには、仮設ではなく将来を考えられる住まいが必要でした。仮設住宅にはプレハブや扱いやすい資材が用いられることがほとんどで、夏の暑さや底冷えのする冬の寒さにまでは対応できません。広い屋敷に住んでいた人が、プレハブの壁一枚越しに、隣の生活音が聞こえるような環境で、長く住むのはきっと耐えられない。『住み心地』まで満足のいく環境を、早く住民に提供したいと考えていました」

災害公営住宅の担当責任者を務めた山田孝係長。建物の再建にとどまらず、地域コミュニティの再生を目指し、設計に生かしていった

早さを重視し、かつ質の高い住宅を建てるにはどうすればいいのか。東日本大震災の時に福島で試験的に行われた事例をヒントに、西原村は「買取型」という方式を採用しました。買取型とは、村が敷地を用意し、そこに事業者が住宅を建設し、完成後に村が買い取る方式。敷地さえ用意すれば、その後の建築計画から実際の施工までをすべて民間で一括して行うことができ、村の議会の承認など行政手続きも少なくて済みます。一方で、信頼できる業者を選定する必要があり、また事業者側が先に事業の費用をすべて持つことになるため、負担が大きくなります。今回の災害公営住宅では、地元・熊本の工務店エバーフィールドと、熊本銀行との全面的な協力により、この買取型を実現させることができました。

災害時だからこそ、西原村“らしさ”

山西地区に建てられた災害公営住宅には、さまざまな特徴があります。45戸の住宅はすべて戸建ての木造平屋で、開放感を感じる高い天井にダウンライトが設けられています。昔からあった集落のように、お互いの家々はゆるやかに配置され、中心には住民が集うガラス張りの集会所も建てられました。
「仮設住宅にいらっしゃった頃から、入居予定の住民の方におひとりずつ話を聞いて、できるだけ要望を反映させられるように工務店と話し合いを重ねていきました。従来の災害公営住宅にまったく捉われず、うちの村らしい住宅になったと思っています」(山田係長)

取材当日も、集会所では住民の方々が集まり、談笑していました。話を聞いてみると、「ここにきてからの生活が楽しい」と、自然と笑みがこぼれます。これこそが、西原村が早急に実現したかったことなのです。

「震災自体は、ひとつの悲劇です。しかし、一度まっさらに失ってしまったからこそ、ゼロからつくりあげることもできる。行政も住民も、足並みを揃えて、復興にとどまらない未来の村づくりに向かっているんです」(日置村長)

この災害公営住宅が建てられたのは、小学校の近く。子どもたちの声が、今日も地域に響いています。
「未来は待っていても来ない。こちらから取りに行かないと、いかんのです」
日置村長のこの言葉は、この事例を前に、いよいよ強く響いてきます。

山西地区の災害公営住宅全景。周辺環境、車からのアクセス、バリアフリー化など、随所に盛り込まれた工夫が住民の満足度を高めている

次回STORY 02では、災害公営住宅を建設した熊本の工務店エバーフィールドにお話を伺います。

HIOKI KAZUHIKO

日置 和彦さん

1947年、熊本県生まれ。西原村の小中学校に通い、熊本県立農業高等学校を卒業後、農業に従事。80年に建設会社を起業、96年には西原村消防団長に就任。2000年に西原村議会議員に初当選し、リーダーシップを発揮。2008年に西原村長に初当選し、以後3期連続で村長を務めている。消防団出身のため防災意識が高く、今回の震災でも消防団が活躍。家屋の下敷きとなった住民9人を無事救出し、「奇跡の集落」と言われる事例を作った。建設業の知識と経験を活かし、迅速な復旧対応と村の未来を考えた復興の手腕に、全国から視察が相次いでいる。